屋 根 裏 画 廊
徳 永  司 『 幻 妖  ・・・ 究極迄簡素化された生命体の意識

 成長した人間の思考や行動を決定付ける最も大きな要因のひとつは、成長の過程で無意識化された幼児期の体験であるというのはフロイト以来の定説であろう。それ以前の成長期の体験、即ち胎児であった頃の体験について言及した記述は眼にしたことはないので知識に乏しいが、胎児の成長が太古からの生物としての進化を物語るものとすれば、長大な年月を凡そ10ヶ月のうちに胎児は経験することになる。ここで重要なことは、この間の記憶が何らかの形で脳の記憶中枢に刻印されているとすれば人間の意識下にはとてつもなく大きな世界が拡がっている事になる。

 とりとめないことばかり考えてしまうが、この作家の作品を見るときいつも想うのは、俗界に身を置く現実の人間から全てを剥ぎ取って、魂だけにしたらこんな格好になるのではないかということである。つまり、衣服や社会性という虚飾だけではなく知性、さらには肉体までも取り去って最後にかろうじてその固体の識別が可能な程度まで簡素化したのがここにある頭部であり、これは胎児の頭部と極めて酷似している。

 この頭部は意識という形で生命活動を保持しており、その意識下には生命体として引き継がれてきた膨大な記憶がうごめいているかもしれず、この記憶は絶えず変化する生命体の意識のあり方に大きく影響するものであり、記憶の量と質の優劣はそのまま意識のレベルの高低に繋がる。作者が描こうとしているのは、実は極限まで簡素化された生命体そのものだけではなく、その生命体の意識のゆらめきである。

 俗世の一切の虚飾を解き放ち、アトリエという自身の想念の世界で作者は夥しい数の簡素化された人間の頭部を描きながら様々に想いを巡らす。その想いは時には作品中央の頭部を刺激し、その口もとから意識のゆらめきとなって囁かれ、時には背後の群れから不思議な振動となって響き渡る。作品のタイトル通り妖しい幻の世界である。

 但し、この世界が如何に豊穣な世界であることか。この作品を凝視し、そして作者の魂と同化しようと心がけた時、夥しい数の魂の発する意識のゆらめきは巨大なドームで鳴り響く宗教音楽やシンフォニーのように我々の耳に届くだろう。この作品のように言葉にならない感動を我々に実感として与えてくれる極上の作品にはめったに巡り合う事はできない。( 文:くれ はるお )

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