屋 根 裏 画 廊
            編集 : くれ はるお
KAZUO MATSUO

松尾 一男・・・・ 画期的な創造行為『記憶と記録』

 現在という時間の最先端で人は絶えず過去を思い出し検証しながらその瞬間の判断を決定し行動するが、過去の検証とは以外に複雑なステップがあり、脳内の記憶部分から記憶そのものを引っ張り出してくるといった単純なものではない。

 実は脳の記憶部分とされるところには無機的な事物が記録として保存されている単なる記録部分であって、思い出すという作業はその瞬間に必要とする事物をそこから抽出し、互いを関連付けて有機的に統合された形式のもの、すなわち記憶として再生させる作業である。つまり過去を思い出すということは脳内に刻まれた記録をソースとして記憶を構築し甦らせる作業であり、そこには大きな意思の力が働いている。この作業にはその人の経験、人格、精神性が多用され、言わばこの作業そのものが人間力そのものといっても過言ではないであろう。脳内に刻印された同一の記録であってもこの人間力の差によって導かれる記憶は多様な変化を見せるであろう。

 ところでバーコードはデータベースの一種でその中にはバーコードリーダーで読み出すための規則に従って細密なデータが記録されており、例えば店頭の商品であれば商品名、原材料、作成工場、製造日時、メーカー名・・・等、その商品を流通販売させるための夥しい数のデータが入力されているが、ここには現代人の脳内の記録部分との類似が見られ、松尾一男はバーコードを模型化した作品を脳内の記録部分の一部に見立ててわれわれに厳かに差し出す。初めてこの作品に対峙した時多くの人は途惑うであろうが作者は『記憶と記録』というタイトルによって意図するところをそっと示唆する。ただし作者はそれ以上のことを言葉や文章では決して語ろうとしない。眼の前の作品が記憶と記録の関係について鑑賞するものを静謐な深い思索へと導き、充実したひとときを体験させるからだ。

 この状況は壮麗なギリシャ彫刻を眺める時の気分のあり方にも等しく、人間そのものに酷似した彫像に人間という存在の奥深さや更には永遠の美を見て高揚する時の状態に似ている。

 鑑賞者にとって漆黒の巨大なバーコードはいつしか確かな存在となり、その内側から滲み出る鈍い輝きを眼にするうちに記憶と記録の仕組みを否応なく突きつけられて、人は記録から記憶に至る回路を開放し、現在という瞬間を生きることの意義を痛切に感じるのである。

 これは極めて画期的な創造行為であり、記憶をテーマとした芸術のひとつのジャンルがここに確立されているといっても言い過ぎではない。 (文:くれ はるお)

記憶と記録2008-1記憶と記録

Interactive 2010 『記憶と記録2010』
gallery 檜
2010/10/18(月)〜23(土)
記憶と記録2010
『記憶と記録2010』
 版による
 gallery 檜
 2010/9/16〜11
『記憶と記録2010』 『記憶と記録2010』 『記憶と記録2010』
記憶と記録2010
『記憶と記録2009_B』
記憶と記録2009-A
記憶と記録2009-B
『記憶と記録2009_B』
2009-A,2009-B?展示風景
記憶と記録2008-3 記憶と記録2008-2